もうすぐ最終回! 仮面ライダーゼロワン
実は弟の影響で小学生の頃から特撮好きになり大人になった今でも仮面ライダー好きである。
仮面ライダーについても少しずつ書き残しておこうと思う。
令和ライダー1号の仮面ライダーゼロワンがもうすぐ最終回を迎えるということで簡単に振り返って置こうと思う。
人工知能、AIテクノロジーと人間の調和をテーマにした本作品。コンピュータやSF好きな私にとって興味深いテーマで毎週欠かさず視聴してきた。
「お仕事十番勝負」で回を消費でいてしまったがために最終章に向けての盛り上がりが駆け足過ぎて少し雑に感じているのだが、それでも平成の仮面ライダーとは違った展開で読めないのが面白い。
今までは大体ラスボスが確定して敵対していた勢力同士も協力して倒すみたいな流れが多かった。しかし本作品は事情が異なるのだ。敵はラーニングで強くなっていくし、人工知能技術に対する考え方、倫理観が重要になってくるのでラスボス倒して解決ってわけではないのだ。ゴールがあってそこに向かうのではなく、みんなにとってどんなゴールが望ましいのか考えさせられる流れになっている。
詳しい設定を絡めた詳細は長くなるので避ける。というか仮面ライダーは鳴滝という人物を用意している以上、そこまで深く考察しても空回りするだけだと自分は考えている。それでも昨年のジオウで平成仮面ライダーの残されてたモヤモヤが回収されたのは嬉しかった。
もうすぐ最終回を迎えるゼロワンがどんなラストになるかは読めないが、ひとつだけ望むことがある。それはバットエンドになろうと、人間の悪意とどう付き合って(もはや悪を倒せない雰囲気がある)いくべきなのかを描くことである。
もう少し言えば技術だけ進化してついていけていない社会で人間と技術の関係がどうあるべきなのかが少しでもわかるように描かれることを期待する。
本来ヒューマギアは人間がより良い未来のためにつくりだした技術であり、そこに悪意はなかったわけで。いっときのZAIAの天津社長のように利益を求め、自分勝手な感情で動く人間もいる社会でどうこれから正義を貫徹していくべきなのか。
ゼロワン最終章! OPのイズが手を差し伸べるシーンはないのか、気になるところです
映画「この世界の片隅に」に見る、サヴァイブの魂
先日,アニメ映画の「この世界の片隅に」を鑑賞した。ドンハマりしてしまった。
正直私はアニメ映画にはあまり興味がなく、ライトに描かれた戦時中の物語だろうと気が進まなかったのだ。しかし見始めて10分ほどでこれはちゃんと観ないといけないと思い、結局ほぼ連続で3回観たのだった笑
原作はこうの史代さんによる同名の漫画で 、双葉社より出版されている。絵の柔らかさが双葉社っぽく私の好みだ。これがあの忌まわしきK社だったらこんなに気に入らなかったかもしれない(冗談)
なぜハマったのか、それは
最初から最後まで草の根(庶民)目線で描かれていたからである
私がタイムスクープハンターが好きな理由も同様である。
歴史の中でどう庶民が生き抜いたのか。
私は偉大な先導者や大名、人間のくだらない派閥争いなんかよりもむしろこっちに興味がある。
色々詳しく考察してまとめておきたいのだが、原作コミックと特装版のブルーレイが届いてからにしよう。
なんといっても主人公すずの、おっとりとした性格と行動力がひとつになっているのがたまらない。ぼーっとしているようで自分でものを考えて手記に記録を残しているというのが印象的だ。
そして作品を通して複雑な感情が繊細に描かれているのが評価高い。戦時中の物語であるが結婚や恋愛を深く描いているのは珍しく感じる。単なる娯楽な恋愛物語ではなく人間臭さを感じるのだ。
ああ全然まとめきれていない。各登場人物も整理して考察しよう。
注文したものが届くのが楽しみだ。
ゆいざらすさんの「かいじるし」を聴いて
さてなぜゆいざらすさんについて今書いているかといえば,
「作詞とかをしていて、あんまり意味が分かんない歌詞の曲だと思うんですけど、これは私的にはいじめられている人が自殺するまでを一生懸命かわいく描いた歌」(大体原文ママ)
本当は誰も知らないのプリンに醤油みたいなやつのもういいでしょ全部投げても この部屋ぶっ壊して見当違い今更気づく途端に消えた甘い歴史とバタンキューなの早く見つけて売り切れごめんなさい今日の運勢あてにならないスイカ割りすら ろくにあたらないそれはそれそれ これはこれこれ記憶正しく 美しくねピーご飯炊けたお風呂湧いただめだった今日もそろそろ終わる時間だよ9時大体で繋げたページは日々違って見えるようでも古代恐竜まではいかない そこそこな毎日誰だ早く当ててそれじゃわかんないかだから飛び出すねたたんたたんスキップげーにんはいよく噛んでいただきます授業中にも飛ぶ飛行機いつまでも追いかけたらノートに書いた真っ黒な思い出たちも飛んでいくよ宇宙船まで届いたかなかなポケットに入ってる歯は 親知らず子知らずのまま握った手のひらにさえ挨拶もできないまま3 2 1 でどこでも行ける1 2 3 4 はラジオ体操かいじるし むじるし ししし獅子座の運勢はこのまま しししすしししピーポケットにはなにもいれないポケットすら何か知らない気づいてよよーいストップ見たくない明日もいつか昨日に変わるかも
ここで話をまた脱線させてくれ,これはヘイトだ.
Digital detox 技術至上主義からの脱却
Wikipediaのデジタル・デトックスの記事に、スマートフォンユーザーの約59%が就寝5分前と起床30分以内にSNSをチェックしているというデータが紹介されていた(自分も例外ではないな)
私の場合ニュースのチェックやショッピングだが気づけばスマートフォンをいじっている。iPhone6sが発売される何か月か前に私は6を契約したのだが、店員さんに説明を受けるまでガジェットにはあまり興味がなかった。設定が手間かかるだろうしフューチャーフォンで十分だと考えていたからだ。当時はiPhoneよりもREGZA PhoneがAndroidで使いやすいと評判で周りでも使っている人がちらほらいたため、REGZA Tabletを購入していた。家でしか使わないしスマートフォン依存になっている人を心の中では軽蔑していたが、いつのまにかガジェットオタクになり、自分も軽蔑される側となっていた。
私は曲りなりにも技術系の人間なのでこれまで技術至上主義でやんちゃな思考の持ち主だった。しかし社会世界がテクノロジーで強制的に利便性を追求し始め出してからというもの、テクノロジーによるシステムに依存する人間集団を愚かに思えてきたのである。どんなに豊かでもそこに自律性がなければ脆弱であると私は考えている。
Wunderlistが終了し手帳に移行したことで改めてアナログ'紙上'主義の良さを感じる。
- 電気エネルギーを必要としない
- 情報へのアクセスが容易
- 管理を徹底すれば盗まれる心配がない
- '自分のもの'という感覚になる
- もちろん捨てることもできる
タスク管理に続き、時間管理に使っていたTogglも利用をやめる。理由は以下の通り
- Syncが遅い煩わしさを感じる
- UIが自分に合わない
- 即時性ではストップウォッチに負ける
- 誰かに報告する義務がないのであまり使わなくなった
- 新しい腕時計が気に入っているからそっちを見るlol
Android, iOS, Firefox Add-Onで使っていたが起動してからの同期が遅く、やる気を削いでいた。さらにプロジェクトやハッシュタグで分類したが種類が多くなると、また時間の長さが異なる記録しなおす操作に煩わしさを感じた。
私のような時間管理ができない者にとって良いツールになるだろうと思いインストールしていたが次第に使わなくなった。記録することは悪くないがその作業にうんざりしてしまった。
>>>腕時計をもっと活用していこう
*1:私個人の感想です
Good,Bye. Wunderlist
6 May 2020にTo-Do管理サービスであるWunderlistが終了する.
サービス終了なんて今まで何度経験したことかと思うが,少しWunderlistには思い入れがあるので忘れないように書き留めておく. 先ずは
Thank you for service of Wunderlist.
iphoneの普及初期,2012年くらいにはもう既にアプリがリリースされていてウェブでも使えてUIも好きだったから長く愛用していた
その後同じTo-Do管理ソフトであるTodoistを使ってみたり,iPhoneにプリインストールされているリマインダーで代用してみたりとしたが結局Wunderlistが自分と相性が良かった
Google ToDoや初期のMicrosoft To Doも使ったがしっくりこなかった. 他にもプロジェクト管理型のアプリを使ってみたりしたが正直に使いこなせなかったし,ホーム画面で邪魔になっていた.
Todoistはその機能性と安定性から高く評価されているようだが私はTo-Doリストがごちゃつくのが嫌だったため使用を諦めた
Microsoftに買収されてからこの日が来ることは予想がついていたがやっぱりさみしいのだ.ヘビーユーザーというわけではなかったが長いこと使っていたし,浮気もしたけど一番愛用していたからだ.
ささいな歴史の一つとして忘れ去られていくだろうが,私はまたどこかのタイミングで思い出して懐かしむだろう.
お世話になりました,Wunderlist
Microsoft To Doへの移行を促すメールが届いたが,私はTo-Do管理アプリは使わないことにした
アナログな手帳に移行する
カレンダーも移行したいんだけどケータイの通知機能は忘れん坊な自分にとって手放せないんだよなぁ
脱スマホしたいな
おわり
コンビニ・ウォーズ バイトJK VS ミニナチ軍団 Yoga Hosers を観た
Jesse Eisenberg主演の2016年映画「エージェントウルトラ」(American Ultra)と同じくコンビニが舞台で当時'ミニナチ'というワードに惹かれ、観ようと思っていた。
結論から言ってしまえばそんなに面白くはなかった。B級というか、エージェントウルトラの方が自分の評価は高い。
この映画はカナダを舞台にしていてエンディングではWコリーンがカナダへの愛国心を歌う。原題のHosersはカナダ英語で'おバカ'を意味するらしい。劇中でも頻繁におバカと呼ばれていた。それでも二人がカナダ人じゃないと客に言われるシーンからHoserにはカナダ人という意味も含まれていることがはっきりわかる。
主演の二人はLily-Rose Melody DeppとHarley Quinn Smith 二人とも同じ99年生まれ
Lily-Roseはジョニー・デップとヴァネッサ・パラディの子供で、おフランスのパリで生まれたそうな しかも名付け親はマリリンマンソンという。劇中でもフランス語を披露している。
もう一人Harley Quinn Smithはお察しの通り(wikipediaによれば)バッドマンのハーレイクインから名前が来ているという。本作は彼女の父親であるKevin Smithが監督した。
さて本作を勝手ながら評価していく (IMDbでは4.3/10
'本気にして叩くより楽しむ態度が大切'です
1. クオリティが高い
シーンの切り方、アングル、撮影セットの作りこみがB級映画として観れば評価点は高い。B級映画では手を抜きがちな撮影はちゃんと場所を変えて行われていた。あんな彫刻モンスター作れるならもう少しましな脚本書けなかったのかと思う。美術班の本作での仕事は素晴らしいと思う。脚本は、まぁ本気で見てはいけないB級だから評価するほうが間違っている。
2.主演の二人がセクシーで歌が上手
Yoga要素がお遊び程度に盛り込まれているのだが、そのシーンは二人を売り込むかの如くセクシーに撮影されている。意図してそうしているように観えたがこの作品の魅力の一つだろう。なんせ若いし!
劇中何度か歌うシーンがあるが上手だと思う(そんなに歌に詳しくないけど
3.それでも私は考えさせられてしまう
これは私個人の評価ポイント
ナチスの残党んも歴史について語る(Lily-Roseの母親!)モーリス先生の授業シーン。あんな雰囲気の授業がいいなとうらやましく思うばかり。
地下にいたアーケインのモノマネは面白かった。彼は自分の彫刻に対して'dislike'した批評家を抹殺しようとするが、確かに彼が自らを冷凍保存した時代はまだ批評家が良くも悪くも批評していた(予想)。けれどもポストモダンの進行によって自由主義が台頭し批評家はただ主張を混ぜ返すばかりで、何を言われても逃げられるような主張しかしなくなった。これは自然な流れで特に驚きもしない論理的な事実だが、この現実によって今の表現の世界は非常に陳腐しているように見えてしまうのである。
こんなことをこの映画から思ってしまうような人は少ないだろうがlol
携帯電話を没収させられるシーン.。現実は見放題!であると女性の体育教師が言うのはお気に入りの言い回しだ。また体育でやらされるYogaはなんちゃってな偽物であると主張する二人にも共感。Yogaに限らず学校で習うことなんざそういうこと多いよね。水泳のバタフライやらされた時や、国語の授業での百人一首とか。確かにそうなんだけど、それを黙ってやることも大切だったなと自分は振り返って思う。
あとこれは感想
女性の生理についてお店でママと話すシーンで男性客が食欲が失せるのは無理もないと思う。私だったら席を外すか、勇気が出れば話をやめてもらうようにお願いする。生理を忌み嫌うわけじゃないけど(本当にそういうシチュエーションになったら)食事中の客前はせめてやめてほしいlol
とかく主演の二人はcute! 以上
私が考える多様性
~おことわり~
これはあくまで現時点での私の意見であり、SnapShot的意味合いが強いものです
心理療法士だったかと話したときに"多様性"について話題が上った
その人の話を聞いたとき、私は多様性を誤解している人が多いのではないかと思うに至った。
SDGsが2015年9月に国連総会で採択されるとそれが指標となってメディアや価値観も変わっていった。これは良い傾向だったがその変化のスピードは遅く、私の周りの人は3年後の2018年にやっと人から教えてもらって知ったという次第だ。
自分が思っているよりも浸透は遅かった。また浅はかな解釈で誤用する人も多かった。
その一つが多様性だ。多様性多様性うるさくて仕方がない。それまで人を叩いたり論破したような気分に浸ることを生きがいとする奴が手のひらを反すようにSDGsという尺度を手に入れ、優等生よろしく多様性多様性と叫び始めた。
いいかよく聞け。
強いものが権力を誇示することと同等に弱いものがその弱さから叫ぶことも同等に恥ずかしいことである。ラウドマイノリティははっきり言うが、極端過ぎて不快だ。わがままと表現してもいいだろう。
私も数年前は尖っていて、社会世界に対して常に怒り、不満を持っていた。
でも大人になって社会世界の中で生かせてもらっているという実感と責任を取りたくはないけれど社会に対して責任を負う立場であるという事実を前に
どうにか集団と折り合いをつけて(どこかでPayできるならそれがいい。一方的すぎるのもまた酷なわけだから)嘘をついていかなければならないと気づいた。
警察や公安を見ろ。全員が全員100%正しい道徳、正義感で動いているわけではない。もちろん情熱的100%であれば素晴らしいが、天下りや不祥事、告訴状を受け取れないなど、不道徳な面が多く見える。それは私の価値観がグローバル目線であるからだが、多様性とはそのような目線を常に持っておかなければならないと思う。
いまだにラウドマイノリティを見かけるのだかはっきり言えばダサいし、新興宗教と大差ない人間だ。新興宗教を馬鹿にして悪いが、これももちろん全部ではないが白人至上主義のテックファーストなやつらとあまり変わりない。
話を戻そう。私は日本で疑問を持ちながらも(朝日新聞にはるかぜさんがいじめ問題について寄稿していたことなぁ)義務教育を受けた。そこで染みついてのは
自分をわかってもらえない苦しみ
だ。だがこれは当たり前だ。基本的に人は傷つくことを嫌がるし、見たくないものは見ない。傍観者であり続ける。私のように運悪く"メテオのように"降りかかった災難や自ら選んだ過ちの数々は普通の人は経験しえない。
わかってもらおうという期待がそもそもの間違いで、共感を期待して人に話すのもNGだ。私は傷ついた分、自分がものすごく弱ったび分、そして観察力に長けている分、共感力はあると思う。だがそてを表に出すかは別問題だ。
とにかく共感よりも尊重が多様性を語るなら重要だと考えてほしい。
なんかいろんな人が混ざっていいよねー じゃないんだよ
人様に迷惑を掛けなければ基本的に気にしないというルールを守るべきだと思う
まぁこの辺は日本という風土では難しいだろうが。
どこですり替わったんだろうか、日本の和は。
それともそんなものもともと幻想で薄っぺらい魅力的な空箱に過ぎなかったのだろうか。。