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Theme is Nothing, That's show.

ゆいざらすさんの「かいじるし」を聴いて

僭越ながら ゆいざらすさん について書く
 
ゆいざらすさんは現在HAWHA MUSIC RECORDS(里咲りささんが社長である)所属の女性アイドルである.ゆるめるモ!の元メンバーで2014年に卒業後活動していなかったが18年に復活.翌年クラウドファンディングによって現在の前の事務所からの楽曲買取,衣装製作等の活動資金を募り,目標金額を達成している.(Wikipedia参照)
前事務所との契約が解除され、事務所を探しているという旨のツイートがきっかけで里咲りさから連絡を受け現在の事務所に所属が決まったというのも面白い.

さてなぜゆいざらすさんについて今書いているかといえば,
ゆるめるモが変わりゆく中で興味が薄れたことがきっかけである.ゆるめるモが元々どのようなグループだったか振り返り,遡る中で,ゆいざらすさんは私の中で好きな個性だったので勝手ながら取り上げた.ここで断っておくがそれほど深いファンであったわけではないため,勝手な分析,誤った理解がある可能性がある.しかしこれを書くのは単に私が面白い思考をしたから残しておく程度の,娯楽にも満たないたわいもない,そして何の悪気のないものである.不快に感じたらスルーしていただいて構わない.それが無駄な争いをしない,お互いのための善き選択である.

さて本題としてゆいざらすさんの「かいじるし」という曲を取り上げる(←これについてが本題
YouTubeで見れる,ゆいざらすさんの廃病院パーティーの動画で聴いて気に入った曲だ.
動画を見ると動いているゆいざらすさんがそこにいて,今でも復活が嬉しく感じる.この動画の中でゆいざらすさんが曲紹介として
「作詞とかをしていて、あんまり意味が分かんない歌詞の曲だと思うんですけど、これは私的にはいじめられている人が自殺するまでを一生懸命かわいく描いた歌」(大体原文ママ)
と語っている.
これを聞いて自分なりに解釈したいと考えたのである.
先ず「かいじるし」というタイトルの意味がよくわからなかったので検索してみると,刃物を販売しているメーカーがヒットした.まさかこの会社の名前が由来ではなかろうと思ったが,カミソリで有名らしく,日本初の国産替刃カミソリを製造したとWikipediaに書いてあった.(御見それしました.)
カミソリはリストカットに使われたりするからメタ的に「かいじるし」なのだろうか.
話は逸れるがこの会社,高校生パティシエNO.1決定戦を開催しているらしい.昔子どものころパティシエになりたいなと一時期考えていたことを思い出す(単に外国にかぶれていた時期でもある).
話を戻してこの曲,ゆいざらすさん作詞とのことだが歌詞が検索しても出てこない.そこで耳起こしした.以下の通りである.
本当は誰も知らないの
 
プリンに醤油みたいなやつの
 
もういいでしょ
 
全部投げても この部屋ぶっ壊して
 
見当違い
 
今更気づく
 
途端に消えた
 
甘い歴史と
 
バタンキューなの
 
早く見つけて
 
売り切れごめんなさい
 
今日の運勢
 
あてにならない
 
イカ割りすら ろくにあたらない
 
それはそれそれ これはこれこれ
 
記憶正しく 美しくね
 
ピー
 
ご飯炊けた
 
お風呂湧いた
 
だめだった今日もそろそろ終わる時間だよ
 
9時
 
大体で繋げたページは
 
日々違って見えるようでも
 
古代恐竜まではいかない そこそこな毎日
 
誰だ
 
早く当てて
 
それじゃわかんないか
 
だから飛び出すね
 
たたんたたんスキップげーにん
 
はい
 
よく噛んで
 
いただきます
 
授業中にも
 
飛ぶ飛行機
 
いつまでも追いかけたら
 
ノートに書いた真っ黒な思い出たちも
 
飛んでいくよ
 
宇宙船まで
 
届いたかな
 
かな
 
 
ポケットに入ってる歯は 親知らず子知らずのまま
 
握った手のひらにさえ
 
挨拶もできないまま
 
3 2 1 でどこでも行ける
 
1 2 3 4 はラジオ体操
 
かいじるし むじるし ししし
 
獅子座の運勢は
 
このまま しししすししし
 
ピー
 
ポケットには
 
なにもいれない
 
ポケットすら
 
何か知らない
 
気づいてよ
 
よーいストップ
 
見たくない明日もいつか昨日に変わる
 
かも
 

 

かいじるし

かいじるし

  • ゆいざらす
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 
感想として,この曲が気に入ったのは明るい未来を想起させる電子音のメロディーでありながら,文章として体裁を成していないスタイルである.私の好みの傾向そのままといったところだ.そして途中の'ピー'がかわいい.
刺激的なのは最後の'よーいストップ'である.'よーいスタート'ではなく,また'よーいドン'でもなく,’ストップ’なのである.一応最後の'かも'は未遂で終わったことを暗示しているの'かも'しれない.全体を通してみると自殺までを描いたとしたら随分ポップだ.私は不幸に遭った人に巡り合うことが多く,(自分も例外ではない)人並以上に理解しているつもりである.そしてこれまでの経験で救済もなく不幸が続くことによって自分を理解するメーターの針が振り切り,自分が分からなくなることを知っている.自分が知らず知らずに傷ついていることも無自覚に,ただただ苦しみ,辛い生き方を隠して進んでいくのである.しかもこれがやめたくてもやめられないのだから,キルケゴールの言う'死に至る病'である.

 

死に至る病 (岩波文庫)

死に至る病 (岩波文庫)

 

 


ここで話をまた脱線させてくれ,これはヘイトだ.
キルケゴールの'死に至る病'を難解だと主張する者が昔からいる.確かに私も読みにくい印象だったし,不快に思う人もいるだろうと容易に想像できた.しかし難書であるということが皮相的に捉えられ,おそらくそもそも読む態度としてそぐわない人がこの本について要約していたりするが,本気でこの書と向き合うならば,その要約は全くの見当違いである.死に至る病が書かれたのは1849年,当時の科学技術と資本主義が振興する世界的な流れの中,キリスト教的立ち場から論理的に理性主義を批判している.この書では神が大きな軸となって話が進んでおり,単に絶望についてこうであると示しただけには全然とどまらないのである. いつかちゃんと書こう

脱線しすぎた.ゆいざらすさんに戻ろう(笑)
'記憶正しく 美しくね'という歌詞. 人の記憶は当てにならないし,過ぎていくほど美化して現在の自分を正当化する傾向が強まる.深読みし過ぎかもしれないがそんなことを表しているのかもしれない.'そこそこな毎日'は'終わりなき日常'を感じさせる歌詞だ.宮台さんの本を読んでいるので,勝手な解釈が進む.
というのはちくま文庫さんから出版されている宮台真司著の「終わりなき日常を生きろ オウム完全克服マニュアル」という本がある.今あえてこれを時間を割いて読むことはおすすめしないが,私は時間軸として原点に近い,古い本を読むことで宮台さんを一段階深く理解したいと考え,数年前に読んだ(カフェで最初から1/3ぐらい一気に読み進めた記憶がある).
この本を読むと当時のリアルな社会的な空気感が伝わってくる.具体的には,オウムに直接的にフォーカスして批判するのではなく,信者の構造的な分析とオウムに対する社会の誤解,シニシズム的な生き方の潮流が確かに当時からあったということなど脈々と綴られている.ここからは少し電波な思考となるのでご注意願いたい.
今現在ヲタクと呼ばれたり,自称したりする者達の多くは昔の本当の気持ち悪さ,においのない偽物が大半である.そして偽物が大半になった結果,偽物が許される構造を生んだ.2011/3/11私は被災し,社会が弱ったのを目撃した.災害ユートピアが生まれ,人間性が失われていないことを確認して希望を持った経験でもある.その後個性的なアイドルが多数乱立して社会的な痛みを癒したように見えた.終わらない日常に毎日がハレなSNSでアイドルやアニメ文化に 元々コンテンツ資源が乏しく,消費体系が未熟だった90年代に宗教によって救済されるような層 が一気に流入したともいえよう.そんな中で'本物'でありながらも,つまりここでは何かに染められたわけではなく自発的に思考する者, が自殺へと向かう事例が多発した.もちろん救済されなかったという点では同じだが異なっているのは本物であるが故に絶望し,死を選択したということである.本当の絶望は死ぬことすらできないことであるが,私が嫌いな文学者のD.O.はただのパフォーマンスだ.あいつは過大評価されすぎているし,ドラマチックなバイアスがかかったお姫様野郎が崇拝しているだけだ.
自殺についてはまた今度書いてみることにして話が脱線しすぎたので戻すと,この曲の言葉選びは一見するといわゆる精神的な病の人のようであるが,紐解く態度があれば,何らそこらの著作と変わらないのである. Shellに惑わされていてはまだまだ.本当に意味に到達できる者のみがその享楽を享受できるのである.何に対してもそうだ.問題はそこに至るまでを周りが妨害するということだ.そんな者は虫だと思って無視すれば良い.
 
ゆいざらすさんは インタビュー記事 でアイドルの'病み'は出尽くしているという見方をしていた.私もアイドル好きとまではいかないが昨今のプロモーションから全くの同感だ.流行の一つだろうが.メジャーなアイドルでさえ,'病み'要素を入れるくらいだ.'闇'を公にしてアイコンにすること自体,社会が病んでいることを表しているような気もする.本来の'病み'は表立って表現するものではないからだ.このような'偽病み'にゆいざらすさんのような'明るい闇'というスタイルは必然かつ支持される理由のひとつであると思う.
 
最後に
昔の交流の中にゆいざらすさんに似た人がいて親近感がある.韓国,台湾と海外でステージに立った経験があるのもすごいと思う.あとゆいざらすさんの八重歯かわいい.これからの活動の展開が楽しみだ.
最近のツイートで 懐かしい台湾の話をしていた. 嘘は良くないけど,いちいち感情的になるのは本当に面倒だと私は思う.保育士にならなかったの?という反応は本人は嫌だったんじゃないかと勝手に私も想像して心傷んでいる.
 
YMOの「Poketful of Rainbow」をこの曲の後に聴くのを個人的におすすめする